khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

定期的な死

もうだいぶ前のことで記憶もあやふやですが、どなただったか作家の手記に「定期的に遺書を書く」とあったのを思い出しました。数年おき、しかるべき時に便箋と封筒をとりだして、遺書を書くのだそうです。先にゆくものとしての自分を案じ、遺されるものとして身の回りの人々を見つめなおしていると、なんだかいたわしくて涙がうかんでしまうのですって。

読んだ当時、年若い私にとって死はけして身近なものではありませんでしたが、なんだかとてもいい考えだなぁと感じたのを覚えています。

特に、ある程度の年齢になるとあてにしていた人の方が先にあてにならなくなったりすることもあるものですから、そういう意味でも遺書という形をとおして定期的に死を擬似体験する…というのは意義深い試みといえるでしょう。

その手記を読んでもう20余年も経つのだし、先日どれひとつやってみよう書いてみようと紙をひろげたのですが、意外と勇気が要ることに驚きました。どこかで「縁起でもない」と思う自分が、じっとこちらを見張っているのです。

しかし、筆を動かし始めてしまえば意外と大したことはなくて、あれはここにあるよ、これはこうしてほしいよ…と淡々と書き連ねるうち、なんだか肩の荷が下りたような心地がしました。想像したよりもずっと、私の望むことって少ないんだわということがわかり、安心したのですね。小さな祈りはうすい桜色の便箋にきっかりと収まりました。

そして、自分で書いてみてはじめて、あの作家さんが真におっしゃりたいことが何かも、わかったような気がしたのです。おそらく、遺されるであろう人々が知りたいのは、おおよそ私が書きとめたような事務連絡ではないんだろう、ということ。

どうしてそのように判断したのか、なぜこれを託そうと思うのか、ということについて。日常会話であえて端折ってしまう部分を、もう少し日ごろから意識して伝えておく必要があることに気づかされたのでした。

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