khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

戊辰×甲辰 ネイル考

少し更新が遅くなりました。4日の「清明」を区切りに暦は戊辰の月へと切り替わり、私にとっては天中殺年・天中殺月のはじまりです。節入り前からしっかりと?熱を出してしまい、名実ともに辰巳のエネルギーを浴びたかたちに。

「戊辰」は天干も地支も陽の土から成る干支で、喩えるならば芽吹きのエネルギーに満ち溢れた春の山。鳥のさえずりが聞こえ、花々が咲きほこり、新緑と土の青青しい香りの漂う場所…そう思い浮かべると、誰もが癒しを求め、その場に足を運んでみたくなるのではないでしょうか。

そんなご本人の魅力ゆえか、自然と人間関係のハブであったり橋渡し役となるような顔の広い方、コミュニケーション能力に長けた人が多いように思います。

一方でそんなエンターテイナー気質やサービス精神のために、人知れず気苦労や気疲れを重ねてしまいがちなのも「戊辰」の特徴。頼られ慣れているぶん、人に頼ったり弱音を吐くのは苦手かもしれません。たまには大穴に向かって「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶように上手にストレスを発散しながら、軽やかに自分の才能を使っていきたいですね。

そんな戊辰月に寄せて私が身につけたネイルがこちら。

地は拍動している

グレージュの一色塗りと、キャラメルカラーのベースにターコイズブルーとスカイブルーのチェック柄。「辰」という干支の中に含まれる木気・水気が、地中に網の目のように張り巡らされているイメージを爪上に反映していただきました。

ただ今は、後先を考えずこの春の陽気に身を任せてみたい…そんな勢いあふれる「戊辰」のありかたに倣い、秘められたリソースが雪解けを終えた大地から噴き出すような、そんな景気のよい季節が皆さまにめぐりますよう。

 

 



互いに友情出演している

少し前、欲しいものを思い描き形にしてみよう、というワークにお声掛けをいただき参加しました。そのときに実感したのは、自分には想定の力があまりない(鍛えられていない)ということ。「今どうなったら嬉しいですか?」であったり「何がほしいですか?」といった質問に、スッと答えられないのですね。こういうのは訓練も大事ですから、日頃から思い描くことを投げやりにせず心掛けたいな…と再認識するよい契機となりました。

そんな知見を得たうえで周りを見回してみると、日常を共にしよく知っているつもりになっている人(ここでは仮にA・B・Cとします)にも、それぞれ想定の力に差があるらしいことに気づきました。

思いを形にする力が強い順に並べるとすれば、A>B>C>私、という感じになるでしょうか。これは自分の思い描いた筋書きに沿って、現実とすり合わせなじませる能力が高い順であるとも言えます。

4人が同じタイミングで同じことをしていても、いつのまにか流れはAが主体的に舵を取ることになっていたり、ちょっと出かけるときの組み合わせが自然とAとB、そしてCと私、というペアになっていたり。

つまるところ影響力が及ぶ(と信じている)範囲のサイズ感、スケールの問題なのかもしれません。生きていけるかは別として、小さい魚は大きい水槽にも入れますが、クジラは金魚鉢には入れませんものね。

「やりやすい」と感じる世界のサイズが似ているもの同士が自然と組み合わさったり、「大は小を兼ねる」の理屈で物事が展開するというのは、この世界ではよくあることなのでしょう。

「ハコ」に差がある

しかし、最近になってとある変化が見られるようになりました。Aの想定する流れやストーリーにBやCが異を唱える、という出来事が続いているのです。時間の経過と共にB・Cの自我や主体性がはぐくまれ、Aの思い描く物語とのアンマッチが生じているようでした。BとCがそろって口にするのは「Aの影響範囲外で好きなようにやりたい」ということ。Aの物語の登場人物としてではなく、個々の物語を紡ぐ段階に来ているようです。

とても面白く感じたのは、想定外の異論の噴出に驚いたらしいAの発したひとこと。「ドラマはやめて」と言うのです。AにとってはAの想定こそが現実で、BやCの想定はスピンオフドラマのようにしか感じられないのかもしれません。

以前から私は各人のストーリーに端役として少しのあいだ顔を出しているだけ、という感覚でいたので、これらの物語の分岐を興味深く眺めています。ドラマとドラマのはざまをいったりきたりしながら、それでは私の物語とはなんだろう?そんなことを考えています。

「らしさ」は細部に宿る

先日、こちらの手相講座に参加しました。手相と言えばオーソドックスな占術のひとつ。しかし見ていただくのとやるとでは天と地ほどの差があって、講師の夏瀬杏子先生・翡翠輝子先生のトークスキルに圧倒されるばかりの1日となりました。

講座の導入部で大きく7種からなる「手の型」についてのご説明があったのですが、その中で私の手は関節の目立つ「結節型」に該当するよう。

(思い返せばこれまで、気に入ったリングを購入しても第2関節を通るサイズにすると本来リングが落ち着くべき指の付け根ではくるくると飾りが回転してしまい、いつのまにか付けなくなってしまうことが多いのでした)

自分の特徴は見慣れてしまうがために見逃しがちですが、ふっくらとピンク色の手や色白で柔らかな手と比べてみれば、節くれだって腱と血管の浮き立つ黄みの強いわが手は、ああでもないこうでもないと捏ねくって考える私にぴったりのパーツのように思えてきます。「らしさ」とはこういった形でも顕れるものなのかと苦笑してしまうほどに。

若い時はシンプルにすっすっと3本線を引いただけ!と言えるくらい簡素な手相をしていましたが、当時に比べればだいぶ深みも陰影も増して、大人の手になってきたような気がします。

ずばっと縦に切り裂くような派手な線こそありませんが、まあまあ私なりにやってきたじゃん!と知己の友のように眺められるのは、手が命式やホロスコープとは違い、形ある自分の肉体であるからこそ。もがき足掻くときにいつもさかんに動かしてきたのは毎回、この手であったわけですから。

そういう意味では、誰しもが少なからず思い入れや愛着をもって眺める部位が「手」であるのでしょう。

私はよくネイルサロンへ行きますから、これからは爪だけじゃなく手の印象や相も見て楽しめそうだわと、今からわくわくしています。

むすんで、ひらいて





丁卯×甲辰 ネイル考

冷たい雨の啓蟄となりました。これを機に暦は丁卯月を迎え、三寒四温をくりかえしつつだんだんと春めいてゆくのでしょう。雪になるかいいや雨だと何度も天気予報を確認しながら、新生活の準備にあわただしい方も多いかと思われます。じわじわ湧きだす期待に胸膨らませるこの時期に寄せて、本日はネイルのブログをお届けします。

それぞれ、丁は陰の火・卯は陰の木に種別される干と支。地支が天干を生じて「木生火」の関係性で結ばれています。

燦然とかがやく「丙」とは異なり、静かにぼんやりと対象を照らしてくれるのが「丁」の灯り。それはまるで暖炉の火のように影を落としながらゆらめき、妖しく神秘的な雰囲気をもって私たちを魅了します。

いっぽう「卯」は自然界において野に咲く草花にも喩えられる存在。淡い可憐さの反面、こちらが驚くような根気強さを見せたりなど、意外なギャップが印象的な干支です。

この両者が合わさる「丁卯」はスマートな社交家が多く、しかし誰にでも広く好かれるようなカジュアルさ…というよりはコアな(こういうのって私にしかわからないと思うの)といった風な特別感をもって無二の地位を確立する存在。そんな「丁卯」になぞらえて私が今月身に着けたネイルはこちらです。

すくすく、伸びゆく

イメージしたのは「萌ゆるみどり」の健やかさ。華奢でたよりない風情を打ち消すかのように一面に、一斉に天を衝くさまは、時に折られ踏みにじられる可能性すら感じていないかのような勢いがあります。

そして、それは時に野火のようにどこへ広がるかわからないような危うさを秘め、私たちを圧倒するのです。音もなく、覆しがたい変容がふつふつと始まっている…白地に粗い筆でしゅっと立ち昇るようなビリジアンのアートでもって、それを反映させたかたちです。


心の糸を手繰ってみる

久々に人と喧嘩(というか言い合い)をしました。大人になると変に聞き分けがよくなってしまって「言っても無駄だ」と思いをのみ込むことが増えますから、言い合いができるのはまだ相手に期待が残っている証拠でしょうか。関わりあう気があるうちが花だと思うことにし、ピリついた時間を味わいました。

きっかけは他愛もないことで、当人としては声をかけてほしいときだったのに、私からそういう気づかいが全くなかった!との訴え。こちらからすればそっとしておくことが最大の気づかい、というつもりでしたので大層おどろきました。(こういうときに占いを使えばいいんでしょうけれど、日常ではそういうことをおくびにも出しませんから初動が遅れがち)

翌日にはあまりに剥き出しのさけびを曝け出したことに恥ずかしくなったのか、当人はいつもの調子に戻っていましたが、このまま終わらせるのは惜しいので易で今回のやりとりを振り返ってみることにしました。

☆言い出した人の受け止め …水風井・上爻
上爻!なんと言い出しっぺの中では既に「過ぎたこと」の扱いになっているようですね。詰まっているパイプがすっきりと掃除されたかのように滞りがなくなり、心のうちは清らかな水の流れに戻った、という感じでしょうか。(よかったけど、なんだそれ)

☆私の受け止め …火地晋・3爻
しっかり喧嘩は買いました。が、相手は普段あまりそういうことを言わない人。臨界点をこえて噴き出した場合はその都度こまめな手当てが必要で、それは気休めの言葉ではなく誠実な行動や態度で示さねばならないんだな~と反省です。周りに他の人もいたので、そちらに害が及ばぬよう自分が防波堤になろうとしている様子もうかがえます。

そして両者の卦を更にじっくり噛み砕いてみると、相手方はこの思いの根っこに「自分の手柄にフリーライドしやがって」というような憤りがあるようですし、私の方はといえば「やりすごせればいい」といった狡さが垣間見えます。どっちもどっちだ。

来る事象を未然に防ぐ(もしくはできるだけ影響をやわらげる)ことも占いの大切な役割のひとつですが、私の場合、最近はこういった具合で渦中において感情の波間に消えてしまったような事柄を拾い上げるのに用いています。

水みたいに湧いて流れて

 

 

 

 

何を着る?どこへ行く?

2月に入ってしばらく、身の回りの物を整理していました。今年は私にとって司禄星が回る年。有用な蓄積のためにその時期運を使っていければいいのですが、心配事や不安に端を発した貯め込みになってしまっては元も子もありません。

使わなくなったハンガーラックを解体したり、箪笥の肥やしになっていた服を捨てたりして、今なおスペースを空けようと苦心しています。ちょうど、フォーマル着を見直す機会などもあって「まだ着れるし、今回もこれ着ていけばいいか」という感じの扱いになっていたスーツもいくつか手放しました。

だんだんと年齢を経て実感するようになったのは「着られる」というのはサイズだけの問題ではない、ということ。ファスナーは上がるし、ボタンは留まるのですが、身に着けた自分の姿を鏡で眺めるとどうにも顔と服装とがちぐはぐで。「顔が合わない」と申しますか…今一度、ワードローブを見直すタイミングが来ているようです。

そんな経緯もあって先日、夏瀬杏子先生易の読み会にて「今後の服のテイストはどうしたらいいですか?」という質問で、ご一緒した皆さんに占っていただきました。出てきた答えは以下の通り。

坎為水5爻 ブラックコーデ、大人の装い、潤いと知性
兌為沢3爻 着ていて「アガる」装い、華やか
火地晋3爻 周りから浮かない、軽快さと動きやすさ
雷風恒4爻 クラシカルでシック、大人っぽい
地雷復5爻 原点回帰、リバイバル
地水師4爻 盛らない、シンプル、抜け感重視

すべて3爻から5爻が出そろい、中年期の装いとして相応なものを選ぶべきということでしょう。(過去に何度か「田舎の中学生」などと形容されたこともあるほど、放っておくとどうしても野暮ったい組み合わせをしてしまいがち…)

また、重卦や「恒」「復」などが出ていることから、手持ちの一切合切を総取り換え!というよりは、使えるものは工夫して活かすことも幅を広げるヒントとなりそう。

そういえば、先月お目にかかった司禄星中心の方はここぞというときに着る物はテーラーでお願いするのだとか。思い入れをもって丁寧に長く着る…ともすれば試着の手間も惜しくてネット通販でぱっぱと買い足してしまう現状を思えば、まずは買い方や選ぶ場所の再考が必要と言えそうです。

食・住にくらべ「衣」への感度は低め

 

丙寅×甲辰 ネイル考

節分、そして立春を迎えましたが天気予報は雪模様。こうしてゆきつ、戻りつを繰り返しながら、世界は徐々に春めいていくのでしょう。年干支も「癸卯」から「甲辰」へと変わりました。ボタンは1番上まできっちりと、折り目正しい「癸卯」の風情から、ネクタイをふうと緩め、さてと腕まくりをする「甲辰」らしい気風へと(こちらもだんだんと)色合いが移り変わりゆくものと思われます。

本日はネイルのブログ。甲辰年の幕開けを彩る「丙寅」ネイルについて、考えてみることとします。「丙寅」は天干が陽の火、地支が陽の木からなる「木生火」の干支。明るく朗らかな愛されキャラであり、その場にいるだけでなんとなく雰囲気をまろやかにする佇まいを持ちます。

「丙寅」を何かの情景に喩えるならば「ひな鳥の孵化」する様子…というのが個人的にはぴったりときます。ぬくもり感じる陽だまりの中、コツコツとまだ目も開かないひな鳥が硬い殻をノックし、壁を破ってこの世に生まれ出でようとするさま。誰に教えられたわけでもないのに、自然と顔は明るいほうを向き、耳は音のするほうへと研ぎ澄まされ、生き物の本能や生命の逞しさを感じさせます。人間の赤ちゃんでいうなら、吸啜反射や把握反射といった原始反射と呼ばれる行動がそれに当たるでしょうか。

なんの衒いもなく、素直にのびやかに。手を伸ばした先の未来が確かに自分を受け止めてくれるものであることを信じている…そんな力いっぱいの産声が聞こえるような気がするのです。すこやかなオーラみなぎる丙寅月に寄せて、私が身に着けたネイルはこちら。

胸いっぱいに息を吸い込んで、高らかな咆哮を

パール感のあるチェリーレッドのワンカラーに、卵の表面にひびが入ったようなゴールドのラインアート。ゆるやかな春の息吹を感じさせるべく、ミントグリーンのラメを合わせました。

世界との「もういいかい」「まあだだよ」の掛け合いをよそに、今こそがその時だ今でなくてどうする?と勢いよく飛び出る。この春はそんな旋風が吹き荒れていきそうです。