khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

互いに友情出演している

少し前、欲しいものを思い描き形にしてみよう、というワークにお声掛けをいただき参加しました。そのときに実感したのは、自分には想定の力があまりない(鍛えられていない)ということ。「今どうなったら嬉しいですか?」であったり「何がほしいですか?」といった質問に、スッと答えられないのですね。こういうのは訓練も大事ですから、日頃から思い描くことを投げやりにせず心掛けたいな…と再認識するよい契機となりました。

そんな知見を得たうえで周りを見回してみると、日常を共にしよく知っているつもりになっている人(ここでは仮にA・B・Cとします)にも、それぞれ想定の力に差があるらしいことに気づきました。

思いを形にする力が強い順に並べるとすれば、A>B>C>私、という感じになるでしょうか。これは自分の思い描いた筋書きに沿って、現実とすり合わせなじませる能力が高い順であるとも言えます。

4人が同じタイミングで同じことをしていても、いつのまにか流れはAが主体的に舵を取ることになっていたり、ちょっと出かけるときの組み合わせが自然とAとB、そしてCと私、というペアになっていたり。

つまるところ影響力が及ぶ(と信じている)範囲のサイズ感、スケールの問題なのかもしれません。生きていけるかは別として、小さい魚は大きい水槽にも入れますが、クジラは金魚鉢には入れませんものね。

「やりやすい」と感じる世界のサイズが似ているもの同士が自然と組み合わさったり、「大は小を兼ねる」の理屈で物事が展開するというのは、この世界ではよくあることなのでしょう。

「ハコ」に差がある

しかし、最近になってとある変化が見られるようになりました。Aの想定する流れやストーリーにBやCが異を唱える、という出来事が続いているのです。時間の経過と共にB・Cの自我や主体性がはぐくまれ、Aの思い描く物語とのアンマッチが生じているようでした。BとCがそろって口にするのは「Aの影響範囲外で好きなようにやりたい」ということ。Aの物語の登場人物としてではなく、個々の物語を紡ぐ段階に来ているようです。

とても面白く感じたのは、想定外の異論の噴出に驚いたらしいAの発したひとこと。「ドラマはやめて」と言うのです。AにとってはAの想定こそが現実で、BやCの想定はスピンオフドラマのようにしか感じられないのかもしれません。

以前から私は各人のストーリーに端役として少しのあいだ顔を出しているだけ、という感覚でいたので、これらの物語の分岐を興味深く眺めています。ドラマとドラマのはざまをいったりきたりしながら、それでは私の物語とはなんだろう?そんなことを考えています。