khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

こころを置いてきた

先月は珍しく移動が多く、あちこちへ顔を出していました。見慣れたお店が大きな看板を掲げる国道沿いや、朝と晩の2本しかバスの来ない場所などを行き来しながら、この先ふたたびここを訪れることはあるんだろうか?そんな思いがよぎったり。このところの情勢から、人に対しても場所に対しても一期一会の覚悟がたかまっているのを感じます。

もともと、場所が変わればそこにアジャストすることは然もないほうです。枕が変わってもくうと寝てしまいますし、地のものを食べ、その土地の言葉や空気を浴びて自分と環境とを擦り合わせるのが常。

ただ、世の中がこうなる前と後では、確実に内と外との撹拌に要する時間やパワーは余計にかかるようになったな、とは思います。いずれの場所にあっても「〇〇から来た人」という「出どころ」を相互に確認するステップが必要になったせいでしょうか。特段そういう意味合いはなくとも、度重なる確かめのたびにトラッキングされているような気持ちになってしまって。できれば「通りすがり」でいたい私にとっては収まりが悪いのかもしれません。指名手配された極悪人、というわけでもないはずですけれど、居たたまれなさがぬぐえません。

そして、それぞれの場所と混じりあうスピードと同様、家に戻ったら家の仕様に戻るのも早いと自負していた…のですが、各地を往復したこの夏はどうにも心が帰ってくるのに時間がかかる、かかる!帰宅して2~3日は、国内での移動にもかかわらず時差ぼけのようにふわふわとしていました。

ゆらゆら、漂う。

今こうして、ばちばちとキーボードを叩いている間にもあの景色が平行してこの世に存在しているかと思うと、なんだか不思議な感じがします。まだ少し、現実の刺激に浮かされているのでしょうか。