寒風吹きぬける川沿いを歩いていると、どこからかクラリネットのアルペジオが聞こえてきました。学生時代に楽器を吹いていたこともあり、自然と音に合わせてポケットの中でもぞもぞと指使いを真似してみます。(あ、意外と覚えているもんだな…)ピンと糸が張ったような冬の空気の中、繰り返しこの基礎の音階をなぞった朝練の風景を思い出しました。
立春を迎え、壬寅の年が始まってからというもの、どうにも眠くてたまりません。普段はそこまで日中に眠くなるようなことはないのですけれど、この頃は少し気を抜くとぽわんと瞼が緩んでしまい、しじゅう締まりのない顔をしています。
(もしかすると、意外と辛丑の1年、私は張り詰めていたのかもしれないなぁ)ぼんやりとした頭でそんなことを考えます。辛丑うまれの私にとって、昨年は律音の年だったのです。
どうでしたか?と問われても、はかばかしい答えは浮かびません。多くの皆さんと同様、感染症やそれに伴う予定変更に一喜一憂していました。しかし、ひとつ確かに言えるかもしれないのは「今ひとたび、基礎の音階をさらっていた」ような時間であったということ。
結局、数年にわたる練習を重ねたわりには、私の楽器の腕前はたいして向上しませんでした。卒業コンサートでそれぞれコメントを求められたとき「いっぱい練習したけれど、まともに吹けるようになったのはb(ベー)の音だけだったような気がします」と答えて、顧問の先生が苦笑していたのを覚えています。
しかし、それを自覚できたことにこそ、基礎練習の意味があるのだろうと今ならわかります。毎日同じ音階をなぞり何度も反復するうち、同じ内容を繰り返すからこそわかる微かな差異に気づくようになるのです。温度や湿度の違い、得意な箇所と苦手な箇所、昨日よりも息が続かないこと、リードのなじみ方や劣化の度合い、そして心の変化。「ちゃんと吹けた」と思える瞬間は、それらのピースがうまく調和し「ぴったりくる」感じがするんですよね。
それと同じような具合で、私にとっての辛丑年は単調になりがちな日々の中で、今一度自分の土台を確認することに明け暮れた1年間でした。楽器と違って、見ないでも指が動く…なんてことはありませんが、ユニゾンの中における自分の音色のようなものが、ちらと垣間見えたような…?
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