khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

極楽鳥花の咲く庭で

久しぶりに海外へ出かけてきました。3年と2か月ぶりのフライトは満席。(旅のしかたを忘れてしまったのじゃないか?)という先行きの不安を小さな座席にきゅっと押し込め、モニタに映る韓国映画に集中し、気を紛らわせる往路。機内食のラップをめくるころには、緊張はだいぶおさまりました。

大して心の準備も整わぬままに到着。思ったよりすぐに着いてしまった…と拍子抜けしつつラゲージカートを押していると、前回の訪問時とは全く風景が異なることに気づきました。この3年のあいだに、国際線エリアの到着ロビーが新設されたのだそう。

タクシーに乗り込み、興奮気味に「ずいぶん様変わりしたんですね」とドライバーに話しかけているうちに車は空港のロータリーを抜け、いつもの街並みが見えてきました。変わった、という驚きや喜ばしさと同時に(変わってしまった)とも感じてしまう旅人の身勝手さ。見慣れた風景への郷愁も、単なる自己憐憫に過ぎないのかもしれません。

初日は疲れもありホテルのレストランで食事をとりましたが、一晩あけて翌朝は街中の喫茶店へ。若いお嬢さんが注文をとり、カウンターの向こうにいらっしゃるお父さんが優しい味のフレンチトーストを焼いてくれました。ともに供されたシングルのアメリカーノもすっきりとした飲み心地。お二人がお料理をサーブするその所作がとても丁寧で美しく(あ、わたしこの国のこういうところが好きだったんだよな)というのを思い出しました。

Bird of Paradice

その国のパーツに触れられたような心地がするとき、というのは各々の人でそのポイントや尺度が異なるところだとは思うのですが、こと食事に関する一切はそれを感じやすいように思います。その土地の食べ物を身体に入れる、という物理的なアプローチを経るせいでしょうか。「ゆっくりで、丁寧で、やさしい」というのが、私がこの国に持っている印象のひとつです。(日頃、がちゃがちゃと忙しなく動いている私には無縁の要素)自分を煽ったり急き立てる必要がないからこそ、訪問の度に心安らぐのでしょう。

じっと手を見る

今回はとある用事のための訪問でしたが、合間を縫って手指を染めたりしているうち、あっという間に滞在時間は過ぎ。帰国のためにローカルエリアからツーリストが密集するあたりへと移動すると、この腕を見て驚いたらしい見知らぬ人によく話しかけられました。おもしろいことですね。地元の人ならば、この時期にこの形をしている目的といえばひとつ、なのですが、よその人にはもの珍しいみたい。

既に染めた色素は薄くあわくぼやけてきていますが、久々の渡航でこの身にかけられた魔法はまだ、解けそうにありません。