khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

がらがらぽん

先日までおこなっておりました「凸と凹」と題したメール鑑定。鑑定中の所感はすでにこちらの記事にて書かせていただきました。その後も、ありがたいことにTwitterやご返信のメールでご依頼の皆さまからたくさんのご感想をいただき、喜びを感じるとともに易のシンクロニシティには鳥肌がたつばかり。そして、締めくくりの意味をこめて自分にも「凸と凹」とを立ててみました。

凸…水火既済
凹…風雷益

 

これを見てまず感じたのは「また、生え代わりの季節が来たんだな」ということ。それも、今日ぽんと抜けて明日しっかりと新しいものが生えそろう…といった類のものではなく、徐々に揺れて根っこが溶け土台から離れ、後に立つものも極めてゆるやかにその場を埋めていく…といったような。

その日その日の変化をしかと見てとることはできないけれど、そっくり変わってしまったあとに「そういえば」と思い至ることもあるのでしょうか。自らに代謝を促すときです。

これまでの私の変化のあらましは概ね、そのとき抱えている何かを一掃し、別の何かにコンバートさせていく形でした。しかしここで得た「益」の意味を考慮すると、既存のものを拡張したり項目を追加していくような姿勢が望ましい…ということになります。

いつだかテレビ番組で「がらがらぽん」という言葉はもはや死語、と話しているのを見かけました。今あるものを1度白紙にもどしてやりなおす、という意味なわけですが「がらがらぽん」だからこそ思いきれる(もしくは諦めがつく)という部分も少なからずあるのだろうと思います。

くじのように無作為に回ってきた何かなのだから、恨みっこなしで受け入れねば、これは抗いがたい流れなのだ…と自分を宥めることができるからかもしれません。何かを直してメンテナンスしながら使うより、買い替えてしまった方が楽なように。

しかし、物事には代替可能なものとそうでない部分とがあり、あるひとつの箇所だけを都合よく選んでピンポイントで新しくすることが難しい場合もあります。特に、自分という器を交換するわけにいかない場合は。容量が足りなくとも、互換性がなくとも、やりくりしていかざるを得ないのですね。

望むと望まざるとにかかわらず、付き合っていく。自分の手の形に馴染んだ道具を慈しむように手入れをしながら、これから先もずっと。

手を加えながら

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