khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

ラベルを貼りかえる

先日、家族と「不本意なあだ名」に関する話をしました。呼ばれたくない記号を、悪意のもとに自分に当てはめられてしまったときの悲しさや、その対処について。ちょうど身近にそんな話があって(ほどなく解決したようですが)こういったことは世の中、枚挙にいとまがないですよね。

そのとき相手から私自身にそういった経験はあるか?と問われ思い出したのは、小学校の登校風景。緊張しながらはじっこを歩く1年生の私の顔を見るなり「白すぎ、バカ殿かよ」そう言い放ったのは6年生のTくんでした。声がわりをしはじめ、頬にぷつぷつとにきびを浮かべた身長160㎝はありそうな彼を見て、心の底から(こわい…)と思ったあの日。

考えてみれば、良い名や素敵な呼ばれ方をすることがその人に追い風を吹かせ気持ちを上向かすように、変なあだ名で呼ぶことで相手の存在を弱体化させ、居心地を悪くさせる作用もあるのですね。そして、その効き目も悪用する人も確かに存在している。

髪は祖母の手によってパツンと切り揃えられ、お家で絵本の挿絵を眺めては雑紙にそれを模写してばかりいた私は生っ白く、Tくんから見れば不気味で得体の知れない存在に感じられたのでしょう。それからしばらく上級生の数人から「バカ殿」と呼ばれ続け、そのたびにお腹がひんやりとする心地を味わいながら過ごしました。

浮いては消える記憶の断片

それまで好んで着ていたピンク色や、かわいらしいデザインを避けるようになったのも、ちょうど同じころ。あだ名をきっかけに「ピンク色や、それに代表されるかわいいものたちは、私の手の及ぶものではない」というような思い込みが形成されたのでしょうか。

(このあたりの葛藤はジェーン・スー著『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』の「ピンクと和解せよ」の章や、堀越英美著『女の子は本当にピンクが好きなのか』に詳しくありますので、ご興味のある方はぜひ)

このように1度は挫かれた私のかわいい色や物が好きという思いではありますが、そのあとの人生のほうが長くなるにつれ、他の思い出や経験によって塗り替えられ、今に至ります。

そして、占いもその塗りなおしにひと役買った要素のひとつ。自己認識と他者からの見え方をうまく切り分けるのに、とても有用な視点となりました。

今回のイベントでは5名の占い師がそれぞれの切り口で、あなたのラベルを貼りかえてくれるのでは、と思っています。

全体のご案内はこちら、湊ゆきのご予約フォームはこちらからどうぞ。