khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

「物語の類型」から手を放す

先ごろ、教育関係のお仕事をなさっている方とお会いする機会がありました。相手の方は教育者として日々多くの時間を子どもたちと過ごし、私の方は保護者として子と暮らしている…ということもあって、話題は自然とそちらの方へ。

会話の中で特に深く同意しあったのは、私たちはそれぞれ個々の性質に対して親和性の高いストーリーを選びがちである、ということ。そして、それは子どもであっても同じで、できれば自分の持ちうる雛型以外の「馴染みのない(薄い)筋書き」にも少しずつ親しんでいけるといいよね…といったことを話していたんです。

なぜそんな話になったのか?というと、発端は子ども同士のちょっとしたいさかい。それも、おそらく互いに言葉が足らなかったり言い過ぎたり、といった些細な勘違い(行き違い)によるものです。周りの大人の目から見れば数ある小さな衝突のうちのひとつにすぎませんが、当事者である児童にとってみれば、日常を揺るがす重大事に違いありません。

話しづらくなってしまった相手に問いかけることもできず、自分の中で「こうに違いない」「自分が(相手が)こうだったんだからしょうがない」などと、自分の中にあるストーリーを強化する想像や推測によって具体性の欠けている部分を穴埋めし、ある子は過度に自分を責めてしまったり、またある子は相手をとんでもないモンスターかのように思いこんでしまったり。こじれきってしまう前に、適切なタイミングで周りの大人や他のお友達が介入していくにはどうしたらいいか?というようなことを話していたのでした。

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人の数だけシナリオがある?

しかし、こういったことは子どもたちだけに限らず、私たち大人の社会においても日常茶飯事ではないかな…とも思います。例えば「彼から連絡がこないのはなぜ?」なんていう、占いで頻出の問いにおいても同じことが言えるのではないでしょうか。当該の事態に至るまでのやりとりはもちろんですが、自立した大人どうしの間柄あればそのほかにも環境的・時間的要因や互いを取り巻く人々との関係など、様々なファクターが関わってきます。それら複合的な因子をよく検討しないまま、自らにとって慣れたシナリオに関係性を押し込めてしまうことは、かえって視野や選択肢を狭めてしまうことにもつながりかねません。

そういう意味では、占いはその人に馴染みのありそうなストーリーを知る手立てにもなるような気がします。もちろん、自分自身が陥りやすい筋書きを知るツールとしても有用でしょう。「いつもそう」なってしまうのには理由がある(かもしれない)…というわけです。

 

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