khushi-art blog

खुशी khushi クシーの意味は喜びや幸せ。描いたり占ったり。

心の糸を手繰ってみる

久々に人と喧嘩(というか言い合い)をしました。大人になると変に聞き分けがよくなってしまって「言っても無駄だ」と思いをのみ込むことが増えますから、言い合いができるのはまだ相手に期待が残っている証拠でしょうか。関わりあう気があるうちが花だと思うことにし、ピリついた時間を味わいました。

きっかけは他愛もないことで、当人としては声をかけてほしいときだったのに、私からそういう気づかいが全くなかった!との訴え。こちらからすればそっとしておくことが最大の気づかい、というつもりでしたので大層おどろきました。(こういうときに占いを使えばいいんでしょうけれど、日常ではそういうことをおくびにも出しませんから初動が遅れがち)

翌日にはあまりに剥き出しのさけびを曝け出したことに恥ずかしくなったのか、当人はいつもの調子に戻っていましたが、このまま終わらせるのは惜しいので易で今回のやりとりを振り返ってみることにしました。

☆言い出した人の受け止め …水風井・上爻
上爻!なんと言い出しっぺの中では既に「過ぎたこと」の扱いになっているようですね。詰まっているパイプがすっきりと掃除されたかのように滞りがなくなり、心のうちは清らかな水の流れに戻った、という感じでしょうか。(よかったけど、なんだそれ)

☆私の受け止め …火地晋・3爻
しっかり喧嘩は買いました。が、相手は普段あまりそういうことを言わない人。臨界点をこえて噴き出した場合はその都度こまめな手当てが必要で、それは気休めの言葉ではなく誠実な行動や態度で示さねばならないんだな~と反省です。周りに他の人もいたので、そちらに害が及ばぬよう自分が防波堤になろうとしている様子もうかがえます。

そして両者の卦を更にじっくり噛み砕いてみると、相手方はこの思いの根っこに「自分の手柄にフリーライドしやがって」というような憤りがあるようですし、私の方はといえば「やりすごせればいい」といった狡さが垣間見えます。どっちもどっちだ。

来る事象を未然に防ぐ(もしくはできるだけ影響をやわらげる)ことも占いの大切な役割のひとつですが、私の場合、最近はこういった具合で渦中において感情の波間に消えてしまったような事柄を拾い上げるのに用いています。

水みたいに湧いて流れて