少し前に、とある方と仕事のお話をしていて「どうして ”お母さん” だけでは不満なの?」と聞かれました。その質問に対し、私は「自分の名前で呼ばれたいからです」と答えました。
「(子)のお母さん」や「(夫)の奥さん」というだけでは自分が透明化して、誰かの付属物みたいで、私はそれでは満足できない、というわけ。欲があるんです。
もともと私は東洋占術でいうと金気の強い生まれで、これは役割や肩書・権威・ヒエラルキーなどを指します。自分でも意図しないままに、そういう方へ寄っていってしまう傾向があるんですね。
そして「立場」を得るということは、その一翼を担うかわりに、個人的な事情は差し置いても組織やミッションのために身を尽くすよう迫られる場合もあります。
こういった傾向を「(子)のお母さん」もしくは「(夫)の奥さん」という立場によって果たそうとすると、結構たいへん。誰が?私ではなく「子どもや夫が」です。私の戦果のためのダシにされるわけですから。そんなの、迷惑でしょう。
この話をしていて思い出したのは、結婚式でのいち場面。来賓の中に地元の議員だというおじさんがいて、私を一瞥すると、夫に「この方のお父さんは、何をしてらっしゃる方?」と尋ねました。それに対し、夫は特に意に介した様子もなく私の父の職業を伝えました。
向こうの考え方からすれば「Aさんちの娘さん」が「Bさんちのお嫁さん」になる、その経過の途中に結婚式がある、という認識なわけです。ここでも私はアノニマス。十数年たった今では、向こうへ赴くと「あの日本人の奥さん」というのが私の代名詞となっています。
そんな経験をへて、ようやく得た「わたしのなまえ」ですから、大事にしていきたいなと思うのです。