ご家族パラメータ・モニタ版、続々とご感想をちょうだい致しております。本日もいただいたメールのご紹介です。お寄せいただいた内容の一部を要約し、以下にご紹介させていただきます。
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(以下、引用)
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本日はもうひとかたご紹介を。いつもnoteにて素敵な文章をつづられているポンスキーさんからも、このたび鑑定のご依頼をいただきました。日々、ポンスキーさんの書かれる文章を楽しみにしている私としてはびっくり&嬉しいお話。鑑定レポートお届け後、なんとご感想を記事にしていただきました。
こちらのエントリ。同じ育児中の親として、とても考えさせられました。たとえば…
・愛したいように愛されてくれればいいのに、とか、愛してほしいように愛してくれればいいのに、とか、親と子の気持ちもすれ違う。愛には金も労力も含むし、湯水のように無駄にされたり、利用されたり、試されたりもする。
・過剰に子どもの顔色を窺いたくもないが、できれば毒親にもなりたくない。子供はまだ小さい、小さいけど親の顔を本当によく見ている。私のぶんまわす腕を避けながら、顔色を見ながら育つのもよくないし、私が良かれと思ってやってたことが負担になってたら申し訳ない。やりたいようにやってほしい。そのとき、あまり妨げになりたくない。
・ただ息子を生んで、「いいお母さん」というのは幻想だなと思うようになった。一番いい関係性を互いに模索していくしかないと今は思っている。
このあたり。うん、うん、と頷きながら読んでいました。私があげたいものを向こうはいらないかもしれないし、こちらは精一杯そそいだつもりでいたのに、相手にとってはまだ器の底から1cmにも満たなかった…なんてこともあります。おそらくこういったことは古今東西、親子の縁でなくとも数多くあることなのでしょうけれど、大人同士と違って「じゃ、合わなかったのでこれで失礼します」とも言えないですものね。ほんの少し先に生まれてはきたものの、こちらも完璧じゃない。「あるもの」で誠心誠意向き合うことしかできないわけですが、まぁ足らないぶんはお外で自給自足しておくれ…準備は手伝うし!などとひとりごちつつ、私も拙宅のメンバーグラフを眺めています。